Coff コフ 製作ギター 1830年 フランス



演奏者、私、西垣正信の視点で楽器の拙い解説を試みます。
通常、飾りの豊かな楽器には音楽の道具としての銘器は多くはないものです。
しかし、いくつかの例外があります。
私が体験したものではティルケ作の十七世紀の
バロックギターは装飾としても楽器としてもすばらしいものでしたし、
このコッフの赤いギターもそれが両立するすくない例外です。

皆様がこのギターをご覧になっていだかれるイメージに沿った世界をこの楽器は持ちます。
この赤いギターが生まれて二百年近く、
彼女に「二百年、幸福なときと不幸なとき、どちらに多くいましたか?」
と、問うのは、悲しい場所で出会った女性に過去を詰問するようなことです。
赤いギター、彼女が私のもとにきて何年になりますか? こういうことを指折り勘定することも、
妖艶に拒む毅然としたものがあります。




音律はヤングを忠実に実現しています。各弦の長さがちがい、銀のフレットは不揃いに
打たれ、高さもほとんどありません。これは「フレットがない」よりも弾き難いのですが
左手の表情、心の揺れをフレットがない場合よりも大きく表現します。

音穴(サウンドホール)には、魔除けの怪鳥がペアで描かれています。





弦は低音の三本は友人、星野英範さんが制作してくれている真鍮巻き
3弦はガット、1、2糸は気候などによってちがったものを使います。


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平山照秋 作 モダンの形をしたギター

「LOTUS 」 ロチュス 蓮

本年(2009)はアランフェス協奏曲やオーケストラとのコンサートが続きました。
古い楽器でも演奏はできるのですが、すこしの違和感があります。

そこで、昔からの友人である古楽器製作家の平山照秋氏に私が楽器にもとめる
身勝手な要望を伝えてお願いしました。

19世紀、20世紀前半に最高とされたピアノはベッヒシュタインでした。
リスト、やドビッシーが愛し、私自身が聞き続けた多くのピアノ、
リパッティ、ネイガウス・・などの音はベヒシュタインでした。
その音は、奇妙な明るさ、なんの陰もいだかないまま悲しみを引き摺り
続ける。影を持たないアッシジのフランチェスコや明恵の樹上坐禅図が
見た人の心にその影を置いていくような、そんな音です。

平山照秋氏はその19世後半に造られたベッヒシュタインピアノの響板を
ピアノからとりだしてギターに再生、まさに再生ルネッサンスしよう、と
提案してくれたのです。

外見は現代のギターのように、しかし木は19世紀、そして構造は私が
コッフと同じに愛用しているパノルモに近いもの、としました。



できあがった楽器は極めて軽いものに仕上がりました。
感覚的には現代の楽器の半分くらいの重さにさえ感じられます。
裏板は美しいカエデです。棹も同じカエデです。



拙い演奏家である私が死んでも、まちがってもこの楽器が処分されにくいように、
楽器の裏に「蓮」を描いてもらいました。
私は花など風流なものにあまり興味がないのですが、蓮はすきなのです。
禅寺にご厄介になっていたときもいつもそばに咲いていました。
フランスでも愛され、東洋とも西洋とも言えない静かさをもっています。
それで、私の大切な録音CD「バッハリュート組曲全集」には岸本文子氏に
蓮を表紙に描いてもらいました。その絵を翻案して平山氏が二輪にして
描き直してくれました。





音というものの不思議さを、改めてこの楽器から教えてもらいました。
もちろん制作家平山氏の音も込められています。構造をアイデアとしてもらった
19世紀初頭の名工パノルモ氏の音もそこに込められています。
しかし、それらを越えて私が聞いていた懐かしいベヒシュタインピアノの音が
あるのです。木と音楽、この二つを並列するのは奇異なのですが、
木と音楽の不思議さ不思議不思議。
内部には平山氏のエチケットと、その下にピアノ時代に捺されていた
ベヒシュタインの刻印の部分を薄く剥いで貼ってあります。

音律は一見すると平均率のように見えますが各弦の長さを変え
フレットの傾きによってヤングに近い音律を得ています。
弦は上のコッフ赤いギターと同じです。