Paganiniの最後について メモ 2014
2014年夏 パガニーニについて興味深い資料を得ました。簡単なメモです。
私のフランスの夏のフランスのアパートはパガニーニが亡くなった部屋のごく近くで
す。
その近くの古書店で1940年五月に行われたパガニーニ記念講演についての当時の
ニース市による
詳細な資料を入手しました。
後日、全ての翻訳を作ります。
その講演は前半はポール・バレリーなどがおこないました。この講演については出版
された記録があります。
そして、おおくの資料が付属していました。パガニーニの晩年については面白おかしく(それもけっして悪いことではないともおもいますが)
脚色されたものが流布されています。まず、日本の多くの本に描かれている記念盤についてのまちがい(ほとんど見ずに書いた嘘)などもそうですね。
私自身も彼の埋葬が許可されなかった・・ということから葬儀や死亡告知が教会によって行われたとは、想像もしていなかったのです。
その告知と葬儀が私のアパートの隣の教会でおこなわれていたのですね。
なお、この講演の後半は当時16才だったイダ・プレスティ先生によってのコンサートとなり、
大ソナタなどが演奏されています。
カメラはシグマDP3メリルです。資料を正確に記録してくれるこの純国産カメラを旅の連れとしました、その正確さに感謝しています。
これは教会による死亡告知のスキャン サボア公国 出身国や付記など興味深いものですね。

それを出した教会 写真はクリックで拡大が表示されます。無駄におおきいようですがこまかいところからも面白い風景があります。ここからの写真はシグマ
DP3メリルです。

その内部です。

私の部屋から覗いたその教会

亡くなった部屋の記念プレート DP3の描写力のおかげで一番鮮明な写真ではないでしょうか。
今回、これは戦後に忠実に作り直されたものであることを知りました。微かなこと以外は1890年の原形に忠実です。

まことに余計なことですが、古い文献やローマ数字に馴染んでおられないかたのために
記しておきます。差し出がましいことご容赦ください。
書類のコミューン表記や銘盤の表記、パガニーニ当時もちろん
イタリアと云う国はなく、生地ジェノバも没したニース(ニッツァ)もサボア公国だったことを思っていただくと
理解いただきやすいことです。この板はパガニーニ没50年を記念して作られたもので
じつは戦後に新たに作り直されました。1890年のものの写真も下に置いておきます。
さいわい極く微妙な違いしかありません。位置も正確に同じ(ですから発見されにくい)にあります。
そして、その50年後1940年に没100年を記念して
ジャン・メディサン氏の企画でポール・ウ゛ァレリーと16才のイダ・プレスティ先生による
記念行事が行われたわけです。
余談ですが、ジャン・メディサンの子息ジャック・メディサン氏から私は賞をいただきましたが、
その後、氏は数奇な人生運命をたどりました。もう彼の名前から社会的な名誉は失せたのです。しかし、私は彼の料理本は変らず愛読しています。
さらに先達諸兄には眉をひそめられそうなことながら、普通にあるように「U」は「V」と記されています。
ほとんど変わりないと言っていながら、肝心の名前2個所にある 「Ó」 が 単純な「O」となっていることは
名前直截なことなので些細なことではないかもしれません。
POI CHE DA QUESTA CASA
VOLGENDO IL GIORNO XXIV DI MAGGIO
DEL MDCCCXL(1840年5月24日)
LO SPIRITO DI NICOLO PAGANINI
SI RICONGIUNSE ALLE FONTI DELLA
ETERNA ARMONIA
GIACE L'ARCO POTENTE DI
MAGICHE NOTE
MA NELLE AURE SOAVI DI NIZZA
NE VIVE ANCORA LA DOLCEZZA SUPREMA
C.BONELLI POSE
A.G.BARRILI DETTO
MDCCCLXXXXI(1890年)

没100年の同日に行われた記念講演とコンサートプログラム
ウ゛ァレリーと16才のブレスティ先生など。
知られているように演奏はパガニーニの遺したギターのひとつフランス紙幣にもつかわれたもので演奏されました。
当然のことながら、ガット弦です。19世紀のギターはガンバのように、一時期忘れ去られたものではなく、
受け継がれてきたものだと感じます。リヨベットの使用したギター群を見てもそれを感じます。

-雑談・・ こういう死亡告知が教会からなされていにもかかわらず、
しかもパガニーニ本人が自分の遺体のとりあつかいの希望をのべていたにもかかわらず
有名なスキャンダルがバチカンに絡んで起こったことについては、
J.O'Sheaが Music and Medicine で示唆しているように、遺体を公開して稼ごうとした
取り巻きにも大きな原因があるように感じます。
風貌については、友人であり音楽の仲間、パガニーニと同じように超絶のデッサン力があった
アングルによる肖像に信頼をおきます。